明石縮(あかしちぢみ)の着物買取なら無料査定のできるSATEeee着物買取にお任せ!

1.明石縮を売りたいお客様へ

明石縮は、絹生糸の緯(よこいと)を強くひねって織られる絹織物の一つです。生地の感触はさらりと薄く、それでいて透け感が少ないため早めに着用する単衣の夏用着物として仕立てられます。大正時代に大ヒットした明石縮は、現在は高度な技術によってさらに洗練され夏の着物の代表として、通の着物愛好家に非常に好まれます。

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2.明石縮についての解説

明石縮は、夏着物といえば明石縮といわれる程、夏小紋などの一般的な外出着として定着しています。シャリっとした清涼感ある肌触りで、蝉の羽のように薄くて涼しい絹織物です。夏着物に適した肌にべとつかない感触は、明石縮独特のシボ(凸凹)が作り出すものです。この明石縮のシボは、糊付けした緯糸(よこいと)に、八丁撚糸機(はっちょうねんしき)という機械で強い撚り(より)をかけて、湯もみをすることで生まれます。明石縮の爽やかな風合いを出すのに欠せない工程で、明石縮は必ず八丁撚糸機を使うことが定められています。江戸時代の初期に播州明石で始まり、大正から昭和初期にかけて一世を風靡した着物です。

3.明石縮の歴史

明石縮は、江戸時代の寛文年間(1661~73)に、現在の兵庫県明石の堀将俊が小千谷縮を改良して創始したと伝えられます。堀将俊は江戸時代前期の織物研究家で、明石次郎とも呼ばれます。もとは明石の藩士でしたが、妻子と越後(えちご)小千谷に移り、小千谷平織りの技術を改良し縮(ちぢみ)織りを作ることに成功しました。さらに改良した強い撚りをかけた縮は、明石縮と呼ばれました。その後、縞や絣柄が織れるようになり、武士の式服としても着用されます。明治中期から明石縮の生産は十日町で本格的行われ、十日町明石縮とも呼ばれ大正から昭和にかけて大流行します。戦後は一時消滅の危機に陥りますが、1976年から十日町明石縮は経済産業省指定伝統的工芸品に指定されて、復興しました。

4.明石縮の買取査定ポイント

十日町の明石縮かどうかが重要です。十日町伝統工芸品証紙が貼られたものであれば、なお良いでしょう。また吉澤織物など有名織元は織り込まれるので、そこも査定ポイントです。

代表的な査定ポイント
  • 十日町の明石縮であるかどうか(証紙が貼ってあれば尚良し)
  • 有名な織元かどうか(工房が明確なもの)
  • 保存状態は良好か(変色や生地のほずれがないか、箱が残っているかなど)
  • 特定の作家のものかどうか(作家落款が染められる)

5.明石縮の取引相場価格

相場価格は状態が良いか、どこの工房が生産者かによって大きく異なります。例えば伝統工芸品明石縮の証紙付きの単衣新品の着物は30,581円の値がつきました。こちらは着丈168㎝絹100%の白地に虹と光をデザインした涼しげなお品です。また十日町伝統工芸品、明石縮の証紙がついた、単衣の着物は24,222円の値がつきました。あずき色地に白で縞が染められた落ち着きのある、着丈162cm絹100%のお品です。

6.明石縮の買取についてのまとめ

明石縮は、夏着物なら明石といわれるほど着物愛好家に好まれている織物です。愛好家を惹きつける理由は、まるで蝉の羽のようだと形容される薄地と、柔らかで清涼感ある風合いによるものです。大正モダンが流行した頃は大人気だった織物ですが、戦後に衰退し、現在は十日町による技術伝承の努力で復活しました。十日町伝統工芸品の証紙や吉澤織物など有名織元の落款のあるものなら、さらに高値査定してもらえます。

着物の織物について

織物
織り
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銚子縮小千谷縮岩国縮高島縮明石縮
縮面
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木綿
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