広瀬絣(ひろせがすり)の着物買取なら無料査定のできるSATEeee着物買取にお任せ!

1.広瀬絣を売りたいお客様へ

文政年間ごろから農家の副業として地機(じばた)を用いて織られた広瀬絣は、大きな絵柄に藍色と白の木綿の織り地で有名です。一時は一世を風靡したものの、第二次世界大戦以後は衰退し、その後、有志による復興活動で命を吹き返しています。木綿の風合いや類を見ない絵絣は、ちょっとしたインテリアやカジュアルな服で楽しめると人気が高まっています。

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2.広瀬絣についての解説

広瀬絣の工程で最大の特色は大きな絵柄です。それは「まかせ」作業にすべてがかかっています。「まかせ」は、絵絣の模様の組み合わせを行う工程で、経糸は経綜台にかけて織物の長さや巾を決め、緯糸は緯綜台に必要な本数をかけます。そして絣になる部分を正確に決めてから、墨で白くなる部分に印をつけていきます。さらに緯綜台で図案を糸に写し、そのまま台の糸を荒麻で括ってしまいます。  「まかせ」はきわめて合理的な手法なので、図柄の狂いもなくなり、精緻な作品を生み出せるようになります。

3.広瀬絣の歴史

広瀬絣は文政7年に町医である長岡謙祥(ながおかけんしょう)の妻・貞子(さだこ)が米子から絣の染織法を伝授され帰郷し、広瀬藩内の婦女子に広めたのが始まりとされています。幕末頃には染めや織りに改良が加えられ、広瀬絣の基礎が確立されます。明治時代には、さらに地機から高機へ改良が加えられ、明治30年代には年間13万反の生産量となり全国にまで販路を広げました。その後、大正4年の広瀬大火に加え、安価な絣製品が出回るなど生産減につながる条件が続き、戦後は自家生産のみとなりました。これを憂えて昭和36年、広瀬町には広瀬絣の技術保存と伝承を目的とした「広瀬絣振興会」を結成します。その翌年の昭和37年には島根県指定無形文化財に指定、天野圭、花谷初子、松田フサヲの三名が保存者として認定されています。広瀬絣振興会をはじめ、藍染体験などができる工房なども生まれ、地道に広瀬絣の復興に尽力しています。

4.広瀬絣の買取査定ポイント

最も注視されるのは広瀬絣であるかどうかという点です。これを証明する証紙があると査定ポイントが上がりますが、品物にシミやカビ、虫食い、擦れ、汚れなどがあると、査定額は下がります。新品、もしくは新品に近い美品とされるもののほうが査定額が上がる傾向があります。

代表的な査定ポイント
  • 広瀬絣であるか(証紙や箱書き、裏書などがあると査定に有利)
  • 信用あるブランド店またはメーカーの扱いか
  • 保存状態が良いか

5.広瀬絣の取引相場価格

オークションに出品された時代ものの広瀬絣の反物は、一回洗浄してから出品されており、藍に白地の幾何学模様など全部で6束、5つの柄が楽しめるものでした。これが17,000円で落札されています。木綿織物で肌なじみが良いことや、リメイクなどに大いに活用できるとあって、市場ではとても人気があります。

6.広瀬絣についてのまとめ

広瀬絣は幾何学文様と絵柄が添えられた独特の世界観を持つ木綿織物です。その幾何学模様に斬新さを感じる人も少なくありません。タペストリーなどに活用するなど、和装からは大きく離れて扱われることが多い広瀬絣は、その使い勝手の良さから人気が徐々に上がってきています。お手元に広瀬絣がおありでしたら、買取に挑戦してみてはいかがでしょう。

着物の織物について

織物
織り
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