作州絣(さくしゅうかすり)の着物買取なら無料査定のできるSATEeee着物買取にお任せ!

1.作州絣を売りたいお客様へ

作州絣とはその昔、作州と呼ばれた岡山県の津山地方の木綿絣のことを呼びます。絵絣に影響を受け、可憐で素朴な伝統的な小模様を組み合わせた絣で、白糸が際立ってはっきりしているのが特徴です。現在は、岡山県の伝統工芸品に指定されていますが、わずかな生産量のため市場になかなか出ない絣ですので、希少な織物となっています。

このページの目次

2.作州絣についての解説

作州絣は、江戸時代から岡山県津山地方で織られてきた木綿絣です。昭和に入って改めて津山地方の呼び名である作州に因んで作州絣と名づけられました。木綿を手つむぎ、その糸を藍染めした無地や縞などは庶民の日常着として着られていました。山陰地方は絵絣が多く、作州絣もその影響が見られます。絵柄は小ぶりのものから大柄な絵のものまであり、また藍染め地は青白という水色に近いものと、黒白という黒に近いものがあり、白糸がはっきりしているのが特徴です。花や扇、そして十字模様などを組み合わせた素朴で可憐な作州絣は、昭和30年頃から東京で人気が出で、最盛期には織元12軒ありました。現在では、日名川茂美が作州絣の後継者として平成24年に認められ、保存活動に励んでいます。

3.作州絣の歴史

作州絣の生産地の岡山県津山地方は、絹織物がさかんな土地でした。江戸時代に木綿の栽培が行われると岡山や山陰地方の農村では、日常着として木綿絣が織られます。明治の中頃、倉吉絣の絵絣から影響を受けた津山地方独自の絣が織られました。あくまでもその絣は自家用のもので、次第に織られなくなり、昭和になると織り手がいなくなります。昭和26年に、杉原博が津山で織られていた絣の技術を復興し作州絣の名がつけられました。その後、人気が出て最盛期には12軒の織元がありましたが、他の絣との競争が激しく昭和37年には、杉原博の織元一軒だけになります。昭和56年に作州絣は岡山県伝統的工芸品に指定されます。杉原博が亡くなった後は、日名川茂美が残された資料から作州絣の技法を習得し、平成24年作州絣の後継者として認められました。作州絣工房と並行して作州絣保存会を立ち上げ技術の継承に努めています。

4.作州絣の買取査定ポイント

作州絣かどうかが重要です。など生産地の証紙が貼られたものであれば、なお良いでしょう。もちろん作品の状態も重要なので、汚れやシミがついていないかしっかり確認していい環境で保存しましょう。

代表的な査定ポイント
  • 純綿の作州絣かどうか(証紙があれば尚良し)
  • 杉原博か日名川茂美の作品かどうか(織工房が明確なもの)
  • 保存状態は良好か(変色や生地のほずれがないか、箱が残っているかなど)

5.作州絣の取引相場価格

作州絣は生産量が限られているため希少であり、なかなか市場に出回ることはありません。そのため、上等品であれば高値での取引が期待できます。ネットオークションにて見つかったのが、作州絣の反物で、こちらは15,500円で落札されていました。長さが12.15m、幅が36cmで新品のものでした。反物でこちらの値段ですので、着物作品となるとより高値で取引されることが期待できます。

6.作州絣の買取についてのまとめ

作州絣は、岡山県の津山地方で織られてきた絣を、津山を作州と呼ぶことに因んで作州絣と名づけた絣です。絵絣に十字や井桁など伝統の小模様を組み合わせ、白地がはっきりとしているのが特徴です。現在の技術継承者の日名川茂美によって工房と保存会が立ち上げられてますが、市場にはなかなか出ない絣ですので、状態の良い反物などは高く取引される可能性が高いといえそうです。

着物の織物について

織物
織り
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