小倉織(こくらおり)の着物買取なら無料査定のできるSATEeee着物買取にお任せ!

1.小倉織を売りたいお客様へ

小倉織は、北九州市で江戸時代から織られた、良質の綿を素材にした地厚で丈夫な織物です。その清々しい縦縞と丈夫さから武士の袴や帯に用いられ、後に庶民の着物や羽織として江戸時代には多くの生産を誇ったものです。昭和から平成にかけて再興されて、その粋な縞柄は風呂敷やエプロンなどの小物として販売されることが多くなりました。もし反物や着物で保存されたものがあれば高い値段で取引されそうです。

このページの目次

2.小倉織についての解説

小倉織は、江戸時代の初期から現在の福岡県北九州市で織られてきた綿織物です。良質の綿糸を撚り合わせて織った織物が、非常に丈夫であったため袴や帯として用いられました。その布地の強さには伝説があり、小倉織の袴を着用していた藩主が槍で襲われた際、槍は袴を通貫しなかったほどだったそうです。多色染めした経糸(たていと)が、きりっとした印象を生む、立体感ある縦縞が特徴です。経糸を緯糸(よこいと)の3倍使って織るため、縦縞が主流ですが、色や濃淡、そして細さ加減や間隔を組み合わせて多種多様の小倉織が生まれ、奥の深い粋な織物として風呂敷、袋物、インテリアなど普遍的な人気のある織物です。

3.小倉織の歴史

小倉織の起源は、江戸幕府将軍、徳川家康が鷹狩で小倉織の羽織を着用していた文献があり、1600年前後にはすでに北九州市小倉で織られていたとされます。その後、武士の袴や帯として用いられます。江戸時代の身分的制限により、庶民の着物は木綿に限られたため、小倉織の丈夫さが評判になり庶民にも広まりました。江戸末期頃に小倉織は最盛期を迎え1日に帯地1,500から1,600筋、袴地を400反、1年の生産額は12万両を超えていました。小倉織は小倉城下町の武士の婦女子によって織られました。明治になると学生服にも用いましたが、1901年の金融不況を境に大正期に衰退し、昭和初期に途絶えてしまいます。1984年に染織家の築城則子が復元に成功し、現在は工房を創設し、小倉織物などの織元とともに織技法を伝えています。

4.小倉織の買取査定ポイント

本物の小倉織かどうかが重要です。工房の証紙が貼られたものであれば、なお良いでしょう。もちろん保存の状態や、誰の作品かによっても変わってくるので、しっかりと把握しておきましょう。

代表的な査定ポイント
  • 本物の小倉織かどうか
  • 北九州市産かどうか
  • 保存状態は良好か
  • 作家が明確かどうか

5.小倉織の取引相場価格

一度は途絶えてしまった小倉織ですが、復興後はバッグや小物に使われるようになり、着物作品というのはほとんど見かけることはありません。そのため、小倉織の着物や帯は希少価値が高く、高値で取引されることが予想されます。お持ちの方がいらっしゃれば、査定に出してその価値を確かめるのもいいでしょう。

6.小倉織の買取についてのまとめ

小倉織は、江戸幕府の将軍、徳川家康も鷹狩で小倉織の羽織を着用したなど、由緒ある織物です。江戸時代の着物や羽織で大変流行したものですが、現在はなかなか、着物や帯で市場に出ることは少ないお品です。もし、状態の良いもので反物や着物地が保管されていたら、査定価格が高くなるといえそうです。

着物の織物について

織物
織り
優佳良織南部裂織出雲織博多織献上博多織桐生織唐桟織首里織読谷山花織阿波しじら織ミンサー織八重山ミンサー読谷山ミンサー与那国織与那国花織アットゥシ織ざざんざ織羅織唐織米沢織南風原花織波筬織川平織多摩織西陣織保多織小倉織会津からむし織風通織伊兵衛織
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縮面
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木綿
津軽木綿因州木綿三河木綿丹波木綿知多木綿松阪木綿伊勢木綿遠州木綿会津木綿
綸子銘仙足利銘仙塩瀬黄八丈秋田八丈本塩沢夏塩沢甲斐絹精好仙台平
上布宮古上布八重山上布越後上布能登上布近江上布福光麻布奈良晒
その他
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